ソマリランド

アフリカの秘宝


ソマリランドの歴史

ソマリアは知っていても、ソマリランドは聞いたことがない方もいるかもしれません。何が違うのか、その答えは聞く人により千者万別ですが、多くのソマリ人は強い意見を持っています。政治的なことを抜きにしても、二ヵ国は文化的にも民族的にも別の地域です。地理的には、ソマリアとソマリランドは東アフリカの角に位置しており、ソマリランドは北部を、ソマリアは南部を占めています。歴史的には、ソマリランドは1800年代よりソマリアとは別の地域で、1960年まではイギリスの保護領でした。そして1960年、それまでイタリアの支配下にあったソマリアと合併したのです。イタリアの支配下「ソマリア」、イングランドの保護領「ソマリランド」、名前も分かりやすいですね。この合併後、権力は南部ソマリアに置かれたため、当初からソマリランド人はよく思っていませんでした。次第にソマリ国民運動(Somali National Movement: SNM)が結成され、当時のシアド・バーレ大統領率いる軍事独裁政権を崩壊させます。1991年にSNMはソマリアからの独立を宣言。しかし内戦中に何万人ものソマリランド人が殺害され、ほぼすべてのインフラは破壊されたため、大変な国再建の道のりを辿ることとなります。以来ソマリランドは、独自の憲法や通貨を持ち、民主的に選出された議会と大統領を持つ独立国家として存続しています。

Photo credit: Anoop Santhakumar

今日のソマリランド

今日ソマリランドは独立から30年以上を迎え、ソマリアの暴力やテロ活動とは無縁で安定した安全な国となっています。ソマリランドには民主的な議会があり、さまざまな氏族の代表、そして大統領が普通選挙によって選出されており、国際的な選挙監視団は、ソマリランドの大統領選挙は自由で公正であると宣言しています。それでも、国際社会はソマリランドを承認国家として認めておらず、未承認国家では世界銀行やIMFの融資を受けることができないため、ソマリランドの経済発展には限りがあります。この宙ぶらりんな状態では、ソマリランドの未来は不安定なまま。ソマリランドは主権国家として国際的に承認されることを強く求めており、そのたたかいは今日も続いています。

1988年にソマリア内戦から逃れるためソマリランドを離れたボスウェルネス創立者マハディ。故郷に対するおもいを聞いてみました。

持続可能な開発、環境対策、フェアトレードでつくるソマリランドのより良い未来